「会いたい」と言うアイドルと、言えないオタク。

まひろです。

 

芸能人と言うのは(この場合俳優ミュージシャンアイドルの別を問いません)別世界の人たちだと思っていました。それは多分に世代的なものに由来する、私にとっての「常識」でした。

一番流行に敏感であろう年齢の頃、「会いに行けるアイドル」はそもそもその概念すら世の中に存在していなかったことも大きいのだと思います。

例えば生き物としての基本の作り(腕が2本とか鼻が一つとか)が共通していても、オリンピック選手やプロスポーツ選手、格闘家と自分が同じと思えないと言えば、何となく伝わるでしょうか。

歌うこと踊ること演じることに縁遠い自分が、並行世界の向こう側を一方的に垣間見る為の術としてテレビがありました。

長じて友人の今で言う布教によりあるボーカルグループにはまってから、テレビではなかなかみることの出来ない人たちが、実はライブをたくさん開催してくれていて、チケットさえ取れれば(実際のところそこが一番の難関ではあるけれど)テレビとは別の世界が繰り広げられているのをみることができるということを知るわけですが、その別世界を観るのもやはり年に多くて3回くらいのことで、日常とはかけ離れていました。

 

歌は聞くもので。

コンサートは観に行くもの。

「会いたい」とか「会いたかった」という言葉は、演者さんが発するから成立するものでした。

ずっと。

 

ひょんなことからMeseMoa.というアイドルにはまり、接触と呼ばれるイベントに恐る恐る参加するようになりました。

当初からずっとある、彼らの時間を買ってしまっている(表現が難しいところですが、一方的にこちらが彼らから削り取ってしまっている感覚。ホスト通いとどう違うのかはわからないけど)という後ろめたさ。

直接言葉を交わした時間の幸せな記憶。

(稀に恐怖に震えた時もありますがそれはまた別の機会に)

彼らのライブを見ているときに感じる多幸感と相まって、まるで麻薬のようだ、と思ったことが何回もあります。

そう感じるからこそ、「会いたい」と思うこと口にすることを殊更に避けてきたのかも知れません。

 

今年の始め。

新曲の発売が、大きな会場を使ってのツアーが、発表されました。

未来は明るいはずでした。

楽しみなことがいくつもあって、頭を悩ませることと言えば自分がどこまで休みを確保できるか、だったように記憶しています。

 

けれどご存じの通り、楽しみにしていたどれもがことごとく延期または中止となっていき、望むと望まざるとに関わらず、仕事と自宅しか存在しない生活。

「推しは生きてるだけでいい」みたいなことをオタクをしていると耳にすることがありますが、まさかそれがこんなにも現実味を帯びて切実に聞こえるようになるなんて思ってもなかった。

閉塞感とはこういうことを言うのかと改めて実感する日々のなかで、彼らと彼らが所属する会社が選んだ行動のひとつが、パラレルワールドだとか別世界だとか、そんなこちら側の概念を力技で捩じ伏せて、ライブ開催がままならない現実という障壁をなんとかして抉じ開けようとするものでした。

 

 

 

『推しと電話で話せる世界(お代は発生します)』

 

 

 

 

その後電話からインスタ、LINEと媒体を変更しながらも繰り返された会話のなかで、 彼らは

「なかなか会えないからね」

「やっぱり会いたいじゃんか」

と繰り返し口にしてくれました。

私は相変わらずどうしても「会いたい」とは口にできずにいる一方で、画面越しであることの気安さからか口にしないと決めていたことをペロッと話してしまいのけぞって笑われたりしていました。

活字に起こせば、コロナ流行以前と何一つ変わらないやり取り。

変わったことと言えば、自己満足でしかない「ご自愛ください」という言葉に、より現実的な祈りにも似たクソ重い感情が乗るようになったことと、「元気でいるから元気でいてね」「生きてこそ」といったやり取りが足されたこと。

ライブや全員放送といった配信で話している姿が元気そうならなんだかちょっと安心したり。

特典会に参加することで「(オタク比喩表現的に言う「他界」をせずにファンの数として)生きてます!」という生存確認になるかしらと考えるようになったり。そのどれもが、独りよがりでしかないけれど、今までは考えもしなかったことで。

そう考えたり思ったりする気持ちの延長線上にあるのが「会いたい」という感情だとするなら、オタクが発しても成立する言葉なのかもしれないと思うようになりました。

 

たかだか「会いたい」の4文字をここまでこねくりまわしてややこしく考える人間は、そうそういないと思います。

だから誤解してほしくないのですが、「会いたい」とか「大好き」とか「カッコいい」とか「可愛い」とか、気持ちを口に出せる人はどんどん出していただきたいし、出せる人が本当に羨ましい。

口に出せるって、そういう人がたくさんいるって凄いことだと思うのです。

 

 

 

 

 

半年ほど前から下書きに書き足すことを繰り返し、今年も残り数時間になりました。

総じて言えば、決して良い状況ではなかったけれど、そんななかでもオタクができたことは幸せなことで、それはMeseMoa.さんというグループによるところが大きかったり、周囲のフォロワーさんに恵まれているんだなと感じる1年でした。

来年がどんな年になるか、想像することすらできませんが、とにかく全てが良い方向に向かうことを祈っています。

みなさんどうぞ健やかに、よいお年をお迎え下さい。