とはずがたり
これは応援してるグループが原点回帰するなら、年寄りは懐古な回顧してみよう(それからちょっとしたお祝いも)と書いた文章です。
まひろです。
「アイドルにはまるのはMeseMoa.が初めて」
折に触れて目にすることのある文章。
御多分に漏れず私もその一人です。
テレビで見られるアイドルだけでも結構な数がいて、かつてはその中で写真集やライブDVDを購入したこともライブに足を運んだこともありましたが、「はまる」ところまではいかず。
ずっと好きで長く聞いていたのは、
「ひとつの物語(歌)を紡ぐために集まった人達」。
みんなして入れ代わり立ち代わり1stからBassまで歌うわ踊るわ作詞作曲するわ提供するわ喋るわする5人組。
良し悪しや是非とは全く関係なく「単推し」という概念とそこそこの距離がありそうな沼(個人的な意見です)で育ったからか、5人の兄さん達以外のアーティストさんが気になった時も、集団が作り上げる空気や世界に惹かれてから個を認識するのが常でした。
だからこそ、
「10人集まったらひとつの物語が始まった人達」
であるMeseMoa.さんにはまったのは、自分にとって極めて珍しいことと言えます。
とは言え、実は私は「推す」ということがわかりません。
「推す」ってなに?どういうこと?何をどうすれば「推してる」ことになる?
ずーっと頭の片隅に置いたまま。
私がしてきたのは、
「この子らちゃんと食べてる?寝てる?大丈夫?」
というアイドルに対して抱くには完全に的外れな感情を持つことに始まり、
「(絶対に)たいしていない」のに「なんだかいる」
と聞くくらいの決して高くはない頻度でライブやイベントに足を運び、
「いつの間にこんなに」
と棚を埋めるCDとDVDに気づいて唖然とする、くらいのことで。
客観的にどう見えるかはさておいて、沼のほとりで水面に浮かぶ波紋を眺めるくらいの気持ちでずっといます。
だから、応援しているけれど、応援できていると思ったことはないのです。
MeseMoa.観てるときの感情って、応援してるのもそうだし楽しい格好いい綺麗美しい恐ろしい色々あるけど、ひっくるめて見届けたい気持ちなのかもしれない。だから眼が離せなくて、この次、その先を観たくなるんだろうか。
— 眞尋(まひろ) (@mahiro3591) 2019年6月1日
MeseMoa.さんにはまって、相応の時間が経ちました。
「アイドル」というカテゴリにいる人達のファンになったのは初めてのことで、だとすると彼らの成り立ちにある女性アイドルや、某大手男性アイドル事務所の子たちにもはまったりするのだろうかと思っていましたが、そうはならずに今を迎えています。
好きなものを好きになった時の気持ちのまま好きでいるのは、難しいことです。
変わらずにいようと殊更に心がけてきたわけでは決してないし、今となっては好きになった時の気持ちなんて霞のようで、はっきりとは思い出せません。
ただ折に触れて思うのは、「あの頃は楽しかったし、今も楽しい」といえることの幸運です。
楽しいことを楽しい、嬉しいことを嬉しいと、素直に感じながらどこまで自分はついていけるだろうか。
もしかしたら火の鳥が大空を飛んでいくのを地上から見送ることになるのかもしれないけれど、それはそれで本望。
見届け方にもいろいろあるよなー、と思っています。
いました。
日本武道館公演決定
この発表を聞くまでは。
アイドルドリーム、とは聞くものの。
叶えてほしいと願っていたものの。
まさか現実のものになるとは。
立川公演からの帰り道、
「武道館だって……」
「武道館だってさ……」
「武道館……」
「生きようねぇ」
「生きねば」
珍しく連番したお友達と口々につぶやきながら、まるで現実と思えないまま家路をたどりました。
発表された瞬間に耳にした、誰もが思わず出してしまった歓声は、コールが許可された公演に行かれなかった自分が2年ぶりにライブ会場で聞くことのできた歓声で。
もしかしたら、それを超える歓声を、MeseMoa.さんに聞いてもらうことができるかもしれない。
その願望が、オタクが来年3月までの日常を倒す武器になる。
そんなことを考えています。
10年ひと昔、という言葉があります。
かなえたい夢があるにしても、長すぎる時間です。
「何一つ諦められない」
どう考えても、本来その一文に集約できるような「思い」や「決意」ではないだろうことだけは、想像できます。
どうかどうか、無事に2023年3月14日を迎えられますように。
願わくば超満員の、光の海を。
2022年5月10日
MeseMoa.10周年おめでとうございます。
MeseMoa.さんの新しい1年が、今までよりも実り大きな時間となりますように。
望む形の幸せを掴めますように。