ライナーノーツ2021

まひろです。

期間限定で「三十一文字のよしなしごと」というタグをつけてツイートしておりました。

(『みそひともじのよしなしごと』と読んでいただけるととても嬉しい)

自己満足でしかないのですがこれもまた一興という、師走の1ヶ月間のお目汚しお許しいただきありがとうございました。

 

 

どこが三十一文字やねん、という出落ち感満載ですが、

 

マーベラス スプレンディッド ジーニアス

キュート ハンサム ソーゴージャス!!

 

ほらね?(なにがほらねなんだか)

他沼にある他己紹介ソングで、あるメンバーさんがスパイスの名前を羅列することで言い表されているのを真似っこしてみようと思ったのと、「死ぬほど褒めて」と言われましても私は言葉を尽くせないのでせめて、という。

 

 

一番最初に思い浮かんだのは藤原道長

『この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば』

でして、「いやそれなんか違う(ていうかだいぶ違う)」ってなったんです。

でも月と、満を持してって言葉のイメージで表したくて、こうなりました。

「彼の人」は、MeseMoa.のとみたけさんです。

 

 

ステージの上に立つ人のことを積極的に神棚に奉っていくタイプのファンなのですが、なんだかわりとしょっちゅう降りてこられている気がする。降ろしてんじゃないの。降りてきちゃうの。

その度に『言っといてー!』とか『聞いてない!』ってこっちがあたふたするのを面白がられている気がする。いやいいんですけどねあなたたちが楽しめるなら。

 

 

ひと頃よりはライブに行くことイベントに参加することの心理的ハードルを低くしている(良し悪しは別として)んですが、誰に憚ることなく泣いたり笑ったりコールしたりできる時を待ち望んでるので、解禁された暁にはどうにかしてその場に潜り込んでいたいなーと思う。

 

 

そもそも私は信号機の虎視眈々(だと思う)で彼らを見つけ、わ気愛でとみたけさんを気になりだした(はず恐らく)わけですが、自分が今のようにライブ通いをするに至ったきっかけはノックソさんだったりしまして。

伝えられる機会があるうちにそのことのお礼を言っておこうって思ったよ、という。結果的に1分で伝えきれるだけの話術が自分にはないと痛感しましたよね(完全に想定内)。

 

 

ぎりぎりまで「夏空見上げ」で「祈ったあの日」でした。

日本語しか話せないのに簡単に言葉を失うし、鰯の頭も信心からとなんでも頼る(というのかすがるというのか)し、わりとすぐ天を仰ぎがちな人間なんです私は。

何もできないのは、そんなのは当たり前なんだけど。

それでもなにかをせずにいられない時というのはどうしたってあるものですね。

 

 

頭でっかちに考えすぎるのが通常営業なのですが、それにしたってこの2年はいろいろ酷すぎるんじゃない?って自分の肩掴んで揺さぶりたいくらいには素直さにかけている自覚はあります。

 

 

前日が上の句ならこの日は下の句、みたいな。

私の中で対になっています。

自分が勝手に判断して切り離してきたことが、実は一番大事で一番必要だったと改めて目の前に突きつけられて、でも今さらどうしたものかわからなくてつくったもの、です。

ライナーノーツと言いながら、具体的なことにはまだ時期的に触れるのが早い気がして何も書けないし、今年はそういうのが多くなりました。

 

 

これはもうそのままです。

今年入ることのできた公演がことごとく関係者席の後ろの席で、後輩さん達とかを否応なく眼にすることになったんですよね。

(客席の傾斜角度の関係とかでまっすぐ前向いてるだけでも)

なんていうかやっぱり「タダで見ちゃなんねぇ!」って気持ちが先立つので。

来年はなにとぞその辺御考慮下さいいーぷらの神様(だからって「ご用意できませんでした」は勘弁してください)。

 

 

物理的にというよりは完全に自分のスタンスとしての距離を測り続けています。

間合い、に近いかもしれない。

ニュアンスですけどね。

 

 

ファンとしてそれはどうなのって、他ならぬ自分自身が一番思っていますが、私「褒める」のがめちゃくちゃ苦手で下手なんです。

烏滸がましさが先に立つというか「自分にできないことができる人」に何を言ったらええねん、となる。で、それを拗らせて貝になる。

そういう自分でもできることしてきたことってなんだろうと考えたとき、「楽しみに待つ」ことはしてきたし「楽しみにしている」ことを伝えようとはしてきたなって。伝わるかはまた別として。

おそらくこれからも自分にできるのはそのくらい。

 

 

ごくたまに、稀に、特典会のやり取りの中で「お願いだからそんなに低く見積もらないでよー!」ってどうやったらこの子に伝わるんだろうって言葉に詰まることがあって。

超絶限られた時間と語彙力では根拠なく「大丈夫よー」ってへらりと繰り返すしかできないから、後からでも「だから言ったじゃん!!!」ってぶん投げたくなる。

 

 

年の瀬ギリギリまでなにがしかのイベントがあるから、ということもあるとして。

これがこちらからする挨拶ならまだ自然。

けれどMeseMoa.さん達は共通して「今年はこれが(最後)?」といった内容を口にしてくれたりする(行ったことがないメンバーさんもいるので断言は出来ない)。

テンプレといえばそれはもちろんそうなのだけど、それでも「来年もよろしく(お願いします)」なんて言葉を推しと交わせる世界は不思議だし、とても愛おしい。

 

 

 

幕張のMeseMoa.さん達を見たとき。

陽之鳥を知ったあと。

殺生石セッションのリリイベを画面越しに見たとき。

本当にこの人達は全部大事にしているみたいで、大事に抱えたまま前を向くし、どこまでも飛ぼうとする。そう見せる。

置いてくることの方が多分容易いだろうに。


うまいこと手のひらで転がされていると思いつつ、それでもアイドルというのは本当に夢を見せるのが上手い人達だと思う。

 

 

ふと。本当に何気なく。

どうしてあんなバイタリティがあったのだろうと。

「楽しい」ということだけでは説明のつかないような体力だったなぁと懐かしく思い出したよ、というだけの句。

 

 

こんなに長く応援できるとは思っていなかったし、こんなに何回も特典会とかに参加することになろうとも欠片も思っていなかった。

 

 

あれだけの情報量を処理することを私の脳みそはもう放棄しているので、せめてなにか書き留められるくらいの断片くらいは残しておいてもらいたい切実に。

 

 

方向性云々とか好き嫌いとか戦略とか全く頓着しないファンなので見たいものをただこぼしていくのだけど、ファントムにもアマデウスにもトートにも世界の王にもなれる人だともう随分長いこと思っているし、勝手に期待している。

演じられるというだけでなく、なんていうか概念?の上でもそうなれる人だと思う。

 

 

いつかのFWのインストにあわせて終演後にファンが歌ったりとかもそうなんだけど、わりとイルミィさん讃える気持ちを表出させることを躊躇しないという印象をずっと持っていて、特にこのコロナ禍においては、無事に幕が上がって幕が下りることの奇跡みたいなものをみんなどこかで感じている気がする。

だから、MeseMoa.さんのみならずありとあらゆる関わっている人、見ている人はもちろん、あの空間、時間そのものへの「おめでとう」「ありがとう」の拍手なのでは、と思います。

(めせらい「中野公演の裏側#4」での皆様へ向かって)

 

 

客観的にどう見えるかではなくて、自覚としてはいつまでもこういうかんじなんだけど。

 

 

ちょうどこの日がコンビニプリントの締め切り前日で、お知らせツイートがMeseMoa.さん達から出ていたりして。

わりとなんか、生活に根差した(といえば聞こえはよいがつまり行き当たりばったりに作った)句。

 

 

今年もお手紙の書けない年でした。

だいたい自意識過剰のリミッター発動させちゃうのがすべての原因なのです。

わかっちゃいるんです。

なので、通し勤務(月に3~4回ある、7:00~翌9:00までの勤務。)明けの、注意力散漫な状態を利用して、お手紙を書いたりしていました。

もちろん、失礼のないようには十分気をつけた上でのことですが。

 

 

たじふぁんの日。

FWという続編がある今となっては、どこまでも微笑ましい。

歌詞の中の登場人物とはいえ、なんとなくどこかにいそうな、そんな気がしてしまいます。

 

 

伝えようとするけれど、伝わらなくていい。(伝わったらそれはとても嬉しいけれど)

それが自分の基本スタンスなのですが、クリスマスくらいはさ。なんとなく、届くことを願ってもいいのじゃなかろうかって、そう思って。

 

 

まぁね、いろいろありますわね。

自分のありたい形には、なかなかに近づけないものよねって反省。

 

 

特定の信仰は持っていないのですが。

クリスマスはなんとなくにわかに世界平和というかせめて自分の見知った世界の人達が穏やかでありますようにと願ってしまう。

 

 

特典会で交わしたあるやり取りと、殺生石セッションの感想とがまだ整理がつかないでいるのですけど、自分にできてないこと、出来ないことってこれだなぁと。

 

 

ある種の呪いとエゴの塊でできた祈りのような何か。

 

 

殺生石セッションの、MVが公開されるより先に出た画像。

それを見たときの第一印象に打ちのめされたまま、今年が終わってしまうなぁ。

 

 

深夜にね、配信をしてくださるじゃないですか。

なかなかタイミングあわなくて聞けなくて、やっとアーカイブ聞こうとしても途中で寝落ちしちゃって、いつまでも聞き終えることができなくてね。

 

 

もうねーなんていうかねー。

とどのつまり呪詛でしかないんだけどさー。

わかってはいるんですけど。

(わかっているならするなという話ではある)

だけどもう祈る以外に、願う以外になにができるんだろうねぇって、結局はそこに行き着いてしまう。

 

 

Twitterに予約投稿機能があると知ったことと、例年になく序盤でストックが作れたこともあって、気がつけば三十一の呟きをしていました。

今年は、今までのいつよりも思ったことをそのまま出していたので、本当に同じことを手を変え品を変え繰り返し書いただけになりました。

改めてなにか書こうとしても、推しの人達に対しては「元気でいてくれ」と「あなたが望む形の幸せと未来を掴めますように」の2つしか自分にはないんだなぁと再確認した31日間でした。たとえそれが自己満足でしかなくても。

でもしばらくは、それはそれで良しとしてファンでいつづけようと思っています。

 

いつもいつでも。

私はMeseMoa.さん達からたくさん幸せをもらえていること、とてもありがたいなぁと感じています。

ままならぬ時間がこんなに長くなるとは思ってもみなかった今年も終わりますね。

どうかみなさま、良いお年をお迎えください。